僕は、建築に長く携わっているのですが、ここ数年で結構変わってきたなと思うものがあります。
勝手な私の思いでを綴っていくので、主観的な記事ですので、その点はお許しください。
ここ数年前から、新築住宅着工棟数は減り、中古住宅やリフォーム・リノベーションに少しづつ人々の関心が集まってきているように感じます。
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減ってきた新築住宅建築数
戦後からこれまで、新築住宅が建築の花形として建築されてきました。
その新築着工棟数が減ってきて、建築の内容の割合ではリフォームやリノーベーションが増えてきました。
割合については、リーマンショックの辺りで新築住宅着工棟数はドカン!と減った事で、リフォームなどの割合が増えただけともいえます。
でもやっぱり、間違いなく今の20代30代の人々は、中古住宅やリフォームやD.I.Yにポジティブなイメージを持っていると感じます。
リフォーム・リノベーション・D.I.Y.の違い
リフォーム
今までの『リフォーム』というと、ほぼ修繕工事の範疇のものが多く、元々の状態を1とすると、経年劣化したり壊れたものや痛んだものを取り換えるなどして直して、マイナスになったものを元の1に近づけようというものを表します。
リノベーション
『リノベーション』とは、元のモノの本質や文脈を受け継ぎつつ、グレードアップさせて、さらなる性能や価値を付加していくことを表します。
D.I.Y
『D.I.Y.』は、Do it yourself の短縮語です。ある意味、自分の事を自分でやるという事です。ちょっとした自給自足的なイメージもあると思います。私の祖父母の世代の人達は、家も食材も料理も自分達でやれることはやっていました。現代ではそれぞれの仕事が忙しくて時間が取りにくいかもしれませんが、自分で家具を作ったり、ちょっとしたリフォームをするのは楽しいものです(人によります・・・)。
それが、高度成長の最中、必死に働く事でそのような余裕もなく、効率化が進みました。
それにより分業が進み、それを後押しする事で経済が回る一つの要素になりました。
それ自体は全く悪い事ではなく適材適所を無視して、画一的に人を管理するよりはるかに全体の能力や成果は上がります。
ただ、その中で自分でものを作ったりする、体を使う感覚が廃れて、頭でっかちになってしまう事が残念だと感じます。
出来上がった料理は「美味しい」と言ってそのクオリティを求めるのに、その生産の現場を汚いとかかわいそう(土や肥料、生き物を殺すことなど)と言ったり嫌悪したりします。
それには違和感を感じます。
それでは、美味しいことの喜び以外の、感謝を感じることができないし、明らかに点でしかものを見れず、そして点でしか物事の判断ができないのではないかと思います。
そういった中で、自分で考えて自分で生活に関する何かをするというのは、建築でのD.I.Y.だけでなく、日々の営みの素朴な喜びや、他人に対する寛容さを持てたり、この情報化社会や洗練度があるからこそさらに本物のクオリティの高い社会に向かっていく為の基礎にさえなるのではないかと思ったりします。
(いや〜大袈裟ですみませんww)
高度成長期からバブルまでの、上がり調子の中だからこそ見て見ない振りで無視されてきた何かが、その世代には見えているんでしょうかね。
そう言いつつ、それが何かは良く分からないんですけどね。
売れるための媚びでできた新築住宅
新築住宅の内容や質なども、上がっているようで、その反面とてもしょうもないものになってしまっている部分もあります。
まあ、効率と収益とクレーム対策ばっかりやっていると、しょうがないとも言えます。
日本の建築や文化の結晶とも言える、古民家(KOMINKA)をただのゴミと思ってしまうくらいですしね・・・。
島国だからこそ、今でも残っている固有の日本文化で、世界からも羨望の眼差しまで受けるものでもあるのです。
もちろん、そのままの古民家では今の生活やエネルギー問題には対応できていないのは間違いないですが。
それ以下の(私の独断と偏見です)新築住宅なんてこの数十年でどれだけ建てられていることか・・・。
外聞のための覚悟と本質のための覚悟の違い
少し話は変わりますが、以前、有名アイドル主演のドラマで、「仕事ですから」みたいな理由で、ダーティーな事をやってもそれがカッコイイみたいなTV番組がありました。
仕事で結果を出すためには、綺麗事言わずに、大人になって、真面目に、正しくなくてもやれ!みたいな。(もちろん行動力は大切ですがw)
そんな今までのフロー社会は、使い捨てで、大した価値もない張りぼてみたいな新築住宅に金を使ったり、ただお金を使うことに価値を見出し、その使い捨てこそがステイタスだっていう価値観がど真ん中にあるから、モノの質より量、拡大主義で拝金主義。
もちろんそこに、強さや勢いが乗りやすいことは良いことですが・・・
まわして動かして膨らまして金を産もうとする。そして、どんどん空っぽになっていく。
そんな中でもお金とのバランスをとりながら、本物を追求している人達もいる(こういう人達は、戦っていて、でも楽しんでいて、魅力的な人が多い。)
そんな汚れから、今は、その対極にあるような汚れがカッコイイっていう価値観があるように思います。(分かりにくいですねwすみませんw)
それが今、きっと大震災などの災害の影響もあるのかもしれないけど、『空っぽのものより質の高いもの』『物に執着しないけど、物を大切にする』『チープでも、楽しめるもの質の高いもの』に。
その質が見えるからこそ実体がないものにも価値を見出せる時代。
循環型・継続可能・楽ではなく楽しむ
使い捨てで経済をまわすラットゲームから抜けて、ストック型・サステナビリティ・循環型、いろんな言い表し方があるけれど、そういう人生を楽しむ、毎日を楽しむ為の働き方や生き方がしやすくなってきているんだったら、とても良いなと思います。
それが強さや、勢い、ワクワクする毎日に繋がる。
綺麗事ではなく、ただ物や行動の質の違い。
費用対効果の効果の部分の求めるモノの変化ですね。
日本や世界が、経済的にも精神的にも次のステージに進めると良いなあと願います。
自分が大切にしているのは、日本の誇るべき緻密さ繊細さと、和の精神、そしてその強さがあるからこそ学び取り入れたい寛容さと包容力です。