「信じられる」「信じられない」って何だろうか
「それは信じられる」「それは信じられない」というような会話。
信じられない?へー、そーなんだ…。あれ?何かを信じるも信じれないも自分には無いなぁ…。
今日の気付き。
どんなに今ちゃんと誠実にやっている事でも将来の事を100%分かる事は無いし、それを「信じる」とか「信じれない」とか評価する感覚を持っていない。「それ」に時間を使ったりお金を使ったりするのは、自分が「それ」をやる事ややる人に”時間やお金も使いたい”、”使っても良い”と思う自分を信じているだけ。
ギャンブルだとしても同じ。スポーツやるのも応援するのも同じ。ビジネスも同じ。好きな事は好きだからお金も時間も使うけど、ある意味それを好きな自分を疑っていないだけ。
だから、「何か」について「信じられる」とか「信じられない」という評価をする感覚があまり無い。この人の言っている事は信じられるのは、そう思う自分を信じているだけ。逆は、その人の言っている事が信じられないと思う自分を信じているだけ。
「その何か」を評価しているわけではない。「その何か」を否定したり批判するのは、何も良い感覚が生まれない。できるだけ正確な分析があると助かるけどねー。
だから、『それ』に「信じられる」とか「信じられない」という感覚はいらない。
今日の気付きでした。
こちらも合わせてお読みください
→Mellow Breathの使い方→編集部NOTE : メローブレス 3つの裏テーマ
■三日坊主を克服して、無理せずに続ける5つの方法!